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戦国時代の食事


戦国時代は一日朝夕二回の食事が普通でした
 
一日二食ではお腹が空いてしかたがないのでは?と思いますが、当時は照明もなく夜は早く休むため、あまり苦にはならなかったのでしょう。
 
例外として城内で夜間警護を行う武士には夜食が出たということです。
 
鉄製の鍋や釜を使う炊飯が始まったのは戦国時代の頃です。今日の原型とも言える炊くご飯のことを姫飯(ひめいい)と言います。
 
これに対し、蒸籠でむしたものを強飯(こわめし)と呼んでいました。
 
元和元年(1615)大坂夏の陣が終わり、平和な時代に入ったことで人々が禅宗における点心(軽食)の習慣を取り入れたことで、一日三食が定着したのではないかと言われています。
 
 
戦国時代の将兵は一日五合の玄米を二回に分けて食べていました。
 
戦時には状況が変わります。
 
出陣時には食事の回数が二回から三回に増えます。これは徹夜で警護に当たる必要があるためです。
 
敵と対陣している間は食糧が支給されますが、戦闘開始となれば炊飯をする暇はありません。
 
このため干飯(ほしいい)や兵糧丸(ひょうろうがん)などが携行されました。
 
干飯は炊いたご飯を天日で乾燥されたものです。移動しながらそのまま食べたり、水に浸して再びご飯として利用することもできます。
 
 
兵糧丸は直径4-5センチの丸く固めた兵糧ですが、一個で一食または一日分のカロリーに匹敵すると伝えられます。
 
兵糧丸については国ごとによっても異なり、独自の調合がなされたようです。
 
米、蕎麦、黒ゴマ、大豆、はとむぎ、酒、砂糖などを混ぜあわせて作り、薬餌としても使える完全食でした。
 
 
戦国時代に発達した食べ物として、味噌と醤油があげられます。
 
合戦では長距離を移動し、風雨にもたえる体力が必要となるので、スタミナ源として味噌が好まれました。
 
味噌は戦国時代に発達し、栄養価も高くタンパク質も取れ、保存も可能なので兵士たちに重宝されるようになります。
 
戦国武将も経済政策の一つとして味噌の生産を奨励し、全国で生産されるようになりました。
 
武田信玄もその一人でした。
 
信玄の味噌生産奨励が信州味噌の発達につながり、現在でも全国一のシェアとなっています。
 
■記事提供元サイト:日本史なるほど見聞録
 

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