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意外に知らない母の日の歴史~『母の日』の母は、母の日に反対していた


 
5月の第2日曜日は母の日。きょうは日本の母の日のもとになった、アメリカ母の日の起源をお伝えします。母親に感謝する日は、古代ギリシャやローマの時代からありましたが、5月の第2日曜日の母の日は、意外に歴史が浅く、今から100年ほど前にできました。
 

母の日を作ったアンナ・ジャービス (1864-1948)

5月の第2日曜日を母の日としたのは、アンナ・ジャービスという女性です。
 
アンナが、母の日を作ろうと思ったのは、母親の影響。アンナの母は、ソーシャルワーカーで、南北戦争中に敵味方問わず、負傷兵の健康や衛生状態を改善するために、地域の女性を集めて活動していました。
 
アンナはそんな母親を、おおいに尊敬していたのです。アンナが12歳のとき、母が「いつかすべてのお母さんたちを、たたえる日ができますように」と祈っているのを聞いたと伝えられています。
 
アンナの母親は、病気で1905年の5月9日に亡くなりました。そのとき、アンナは、母親の長年の願いを叶えようと決めたのです。
 
アンナは、母が亡くなって2年後、教会でメモリアルサービスを開始。翌1908年の命日には、教会で白いカーネーションを配りました。母親がこの花を好きだったからです。彼女はそうやって「母の日」を作るアイデアを皆に伝えて行きました。
 
「母の日を作る委員会」を結成したアンナは、サポーターとともに、議会に影響力のある人たちに、「母の日を作るべきだ」という手紙をたくさん書きました。
 
この努力が実って、1911年には、ほとんどの州で母の日ができました。そして、1914年に当時のアメリカ大統領、ウッドロー・ウィルソンが、「5月の第2日曜日を母の日とする」という法案に署名をしたのです。
 

商業主義にまみれる母の日

アンナの提唱していた母の日の過ごし方は、教会に行き、その後、子どもたちが母親に感謝の手紙を書く、というものでした。当日は、カーネーションを身につけます。母親が生きている人は、赤かピンク、母親が他界している人は白いカーネーションです。
 
母の日の習慣は、たいへん人気が出て、年々カーネーションの売れ行きが伸びました。また、1920年ごろには、グリーティングカードの会社が「母の日のカード」を売り出します。
 
このカードには最初から「お母さんありがとう」とか「愛をこめて」と印刷してあります。アンナは「手紙は手書きであるべき」ということにこだわっていたので、カードの登場に心を痛めました。
 
市販のグリーティングカードや、母の日に大々的に売りだされるカーネーションといった商業主義がどんどん拡大していったので、アンナはたいそう憤慨。「こんなの、母の日じゃない」と思った彼女は、今度は、「母の日をやめろ」という署名運動を始めました。
 
1930年に、なんとアンナは、母の日のカーネーションの販売の営業妨害をしている罪で逮捕されてしまいます。
 
アンナはその後釈放されますが、1948年に亡くなるまで、ずっと母の日の反対運動を続けました。「『母の日』の母」と呼ばれたアンナですが、自身は生涯独身で、子どももいませんでした。
 
* * * * *
 
いかがですか?
 
今や母の日は花屋にとって、1年で1番の稼ぎ時ですね。最近は花だけでなく、スイーツとセットにしたものも人気です。母の日のビジネスの恩恵を受けるのは花屋だけにとどまりません。
 
ですが、たまには、アンナ・ジャービスの意志を尊重して、「お金をかけない母の日」を過ごしてみてはどうでしょうか?大切なのは贈り物より感謝の気持ちを伝えることなのですから。
 
■記事提供元サイト:筆子ジャーナル
 

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