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真田幸村はいなかった?


真田といえば真田幸村というくらい有名ですし、
戦国武将人気ランキングには必ず入る人物です。
 
真田十勇士、小説、映画、テレビ、ゲームなどで取り上げられ、
あまり歴史に詳しくない人でも名前はご存知でしょう。
 
 
ですが、真田幸村は実在の人物ではありません。
 
そう言うと、そんなはずはない。
 
大阪冬の陣、夏の陣で大活躍した真田幸村がいないなんてどういうこと? となりますね。
 
 
じつは、大阪冬の陣・夏の陣で、大活躍して
家康と徳川軍を苦しめた人物は真田信繁です。
 
慶長19年(1614)に始まった大阪冬の陣まで、
真田信繁はあまり知られていませんでした。
 
それが彗星のように登場し、大阪の冬の陣・夏の陣で
獅子奮迅の活躍を見せて花々しく戦場に散ります。
 
大阪の陣当時、幸村はほとんど無名で、
同時代の記録でも平仮名で「さなだ」、
官職名である真田左衛門(佐)などと記載されているのも
下の名前が不明だったためでしょう。
 
最近では真田信繁という名前も知られてきていますが、
真田幸村という名前が登場したのはいつのことなのでしょうか?
 
きっかけは江戸時代、寛文12年(1672)に出た
軍記物「難波戦記」と言われています。
その中で幸村は天才軍師として登場し、大活躍をしています。
 
「難波戦記」は大きな反響を呼び、次第に幸村という名が広まります。
元禄年間には「真田三代記」が発行されて、
真田昌幸・幸村の活躍は世間に知られるようになります。
「幸村」の名前が有名になると、幸村の兄・信之が継いだ
松代藩の正史にまで採用されるようになりました。
 
幸村という名前の由来はよくわかりません。
 
通説では、徳川家康に切り込んだ人物の活躍を描く「難波戦記」で、
実際の人名を使用するのは幕府に対しはばかられるので、
架空の名前を作ったのではないかと言われています。
 
幸村の名は大坂城に入城後に使用した名前で、
一部の人に伝えられ「難波戦記に」記載され、
人気が出たので定着したのではないかという説もありますが、
本当のことはわかりません。
 
いずれにしても本名の信繁より「幸村」という名前が有名になったため、
真田信繁を取り上げた小説、ドラマでは真田幸村と呼ばれています。
 
最近では「信繁」という名前も知られるようになってきましたが、
本名は信繁ですが、幸村で知られています。
と但し書きがされるのが通例です。
 
どこから幸村という名前がついたのか?
そんなことを推理するのも歴史の面白さと言えるでしょう。
 
■記事提供元サイト:日本史なるほど見聞録
 

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